TOP > CATEGORY − B-13裁判
九月十二日。午後からM弁護士と事務所で打ち合わせをしました。
被告側の答弁書のコピーをもらいました。
被告側の主張としては、セクハラの事実関係と会社の責任についてはすべて「否認」、私の苦痛が著しいものになったことや、私が出社できない状態になったことなどについては「不知」、よって、セクハラの事実関係と慰謝料については「争う」、会社の責任については「否認ないしは争う」ということでした。
私が特に引っかかったのは、W(支店長)の文書についての答弁で、「そもそもW支店長のパソコンを原告が見ることさえ問題であり、原告主張の認識は原告の性格に起因するものといわざるを得ない」とコメントしているところでした。
被告側がこう回答してくることは、あまりに安直なので、私は百パーセント予期できていました。彼らは、自分たちに都合の悪いことはすべて私のせいにして、その内容を争わない方向に持って行くつもりだったのです。もしも争ったら分が悪いからと知ってのことだったのでしょうが、私だって譲れませんでした。
当時、ネットワークは導入されたばかりでした。その目的は、本社と支店、あるいは社員間でデータを共有することにあり、ゆえに社員であればネットワークを使用することは目的にかなっているし、ことさら設計の私は常的に活用していたのであるから、その行為を否定するのは本末転倒です。
むしろ責められるべきはWです。会社の所有物であるパソコンで私的感想文を作成したうえ、そのデータ管理を怠ったのですから。
データ守秘のためには、パソコン初心者のWにだって簡単にできるいくつかの方法があったのです。たとえばフロッピー(USBメモリーはない時代でした)に保存してパソコンの本体には残さなければよかったのだし、本体に保存してしまったのならば、ネットワークに繋がなければよかっただけのことです。
ただし、Wもそれくらいは知っていたはずだから、彼が意図的にそうしなかったと考えるのが自然でした。つまり、誰の目にも触れる場所にわざと放置していたのです。そしてWは、以上のような彼の非について争うことを避けたいから、私に責任を転嫁して、本筋へとたどり着けないようにしていたのです。
まったくたいした悪あがきであるけれど、この文書のせいで、私は自殺を考えるところまで追い込まれたのです。そして、踏みとどまった私に戦うことを決意させたのは、Wを許してはならないという強い心念でした。逆を言えば、Wが文書など書きさえしなければ、裁判に至ったかどうかわからなかったのです。だからこの件は、年始に来なくてよいと言われたことと併せて、私の中では絶対にはずすことのできない大問題でした。
第二回目の裁判は十月十七日。裁判所に提出する資料を「準備書面1」と題して、M弁護士が作成してくれました。内容は、私の受けた被害についてと、Wの文書に対する反論、被告会社が原告を排除するような扱いをしたとして詳細を記載。結論として、「被告らの責任は明らかである」としました。
被告側の答弁書のコピーをもらいました。
被告側の主張としては、セクハラの事実関係と会社の責任についてはすべて「否認」、私の苦痛が著しいものになったことや、私が出社できない状態になったことなどについては「不知」、よって、セクハラの事実関係と慰謝料については「争う」、会社の責任については「否認ないしは争う」ということでした。
私が特に引っかかったのは、W(支店長)の文書についての答弁で、「そもそもW支店長のパソコンを原告が見ることさえ問題であり、原告主張の認識は原告の性格に起因するものといわざるを得ない」とコメントしているところでした。
被告側がこう回答してくることは、あまりに安直なので、私は百パーセント予期できていました。彼らは、自分たちに都合の悪いことはすべて私のせいにして、その内容を争わない方向に持って行くつもりだったのです。もしも争ったら分が悪いからと知ってのことだったのでしょうが、私だって譲れませんでした。
当時、ネットワークは導入されたばかりでした。その目的は、本社と支店、あるいは社員間でデータを共有することにあり、ゆえに社員であればネットワークを使用することは目的にかなっているし、ことさら設計の私は常的に活用していたのであるから、その行為を否定するのは本末転倒です。
むしろ責められるべきはWです。会社の所有物であるパソコンで私的感想文を作成したうえ、そのデータ管理を怠ったのですから。
データ守秘のためには、パソコン初心者のWにだって簡単にできるいくつかの方法があったのです。たとえばフロッピー(USBメモリーはない時代でした)に保存してパソコンの本体には残さなければよかったのだし、本体に保存してしまったのならば、ネットワークに繋がなければよかっただけのことです。
ただし、Wもそれくらいは知っていたはずだから、彼が意図的にそうしなかったと考えるのが自然でした。つまり、誰の目にも触れる場所にわざと放置していたのです。そしてWは、以上のような彼の非について争うことを避けたいから、私に責任を転嫁して、本筋へとたどり着けないようにしていたのです。
まったくたいした悪あがきであるけれど、この文書のせいで、私は自殺を考えるところまで追い込まれたのです。そして、踏みとどまった私に戦うことを決意させたのは、Wを許してはならないという強い心念でした。逆を言えば、Wが文書など書きさえしなければ、裁判に至ったかどうかわからなかったのです。だからこの件は、年始に来なくてよいと言われたことと併せて、私の中では絶対にはずすことのできない大問題でした。
第二回目の裁判は十月十七日。裁判所に提出する資料を「準備書面1」と題して、M弁護士が作成してくれました。内容は、私の受けた被害についてと、Wの文書に対する反論、被告会社が原告を排除するような扱いをしたとして詳細を記載。結論として、「被告らの責任は明らかである」としました。




