労働局を出てからの夕刻、N氏と一緒に夕食をとりました。
回転していない寿司を食べました。その路地裏の小さな店を見つけたとき、N氏が「こういう店がうまかったりするんだよね」と、食通みたいなことを言ったからです。
彼の勘はなかなか冴えていました。寿司はおいしかったし、汁物は品がありました。
私は割りばしで椀の中の具をつまみあげ、
「これはなに?」と彼に尋ねました。
「布海苔(ふのり)じゃないかな」と彼は答えました。
私は根拠もなしに、
「違う、布海苔じゃないよ」と応戦しました。
負けず嫌いなN氏は、よせばいいのに、店主とおぼしき職人のおじさんに確認しました。
おじさんは、「布海苔です」とはっきり言いました。
N氏が満足げに、
「やっぱり布海苔だよ」
「布海苔じゃないもん」
私はがんばりました。おじさんの明言など関係なしに。
それから店を出てもなお、
「布海苔じゃない」
「布海苔だ」
と無意味な口合戦で遊ぶことにより、重く沈んだ気分を紛らわそうとしました。
でも、親が待っている家に帰るには、つらすぎました。
N氏は、私の最悪の誕生日をもう少しましなものにしようと思ったのか、「面白い店を見つけたんだ。飲みに行く?」と誘ってくれました。
私は行くことにしました。
N氏曰く「面白い店」は繁華街にあり、明るい店内は若者たちで賑わっていました。
店員に案内されて、私たちはフロア中央のテーブルに向かい合って座り、手あたりしだいに酒と料理を注文しました。
「ほら、電車の座席を使ってるんだよ。あっち、見てみなよ」
と、N氏が私の後ろを目線で示しました。
振り向いてみると、窓際はボックス席が横一列に並んでいて、その対面式のシートは、ほんとうに列車内を再現したかのようでした。
私はN氏に向き直ると、今度はその角度から店内を観察しました。壁に飾ってあるポップなアートポスターには非常に関心を持ちました。特に、右壁の大きな絵画は個性的で、まじまじと細部に至るまで眺めたおしました。
そして、やっと気づいたのですが、その絵の上壁には四角に切り取られた空間が数カ所あり、ほかの客が談笑をしていました。その場所──ちょうど一組の客が入れるくらいの穴の中までは、いったいどこからどうやって行くのかと、私は首をかしげたものです。
うん、面白いといえば面白い。
そのうち運ばれてきた料理を食べていたら、N氏が、最近親しくなったという友人の話を私に聞かせました。
そして彼は、
「Iくん(その友人)に電話して、ここに呼んでいい?」
と言い出したのです。
私は動揺しました。自慢にもならないですが、私は大人になってからも人見知りが直っていないのです。
けれど、よくよく考えてみれば、労働局にセクハラの相談に行くという重苦しい任務を彼は遂行してくれたわけだから、せめて今くらいは楽しんでもらわなくては。
そうこうして、彼の友人であるI氏の来店が決まりました。
N氏から仕入れたI氏に関する予備知識は、年は私たちと同じくらい、結婚していて、現在はかたぎ。……ちょっと不安。だけど、私は人見知りするくせに先入観や偏見を持たないほうだし、N氏の話では「いい人」ということだったから、私は一期一会を大切にすることにしました。
回転していない寿司を食べました。その路地裏の小さな店を見つけたとき、N氏が「こういう店がうまかったりするんだよね」と、食通みたいなことを言ったからです。
彼の勘はなかなか冴えていました。寿司はおいしかったし、汁物は品がありました。
私は割りばしで椀の中の具をつまみあげ、
「これはなに?」と彼に尋ねました。
「布海苔(ふのり)じゃないかな」と彼は答えました。
私は根拠もなしに、
「違う、布海苔じゃないよ」と応戦しました。
負けず嫌いなN氏は、よせばいいのに、店主とおぼしき職人のおじさんに確認しました。
おじさんは、「布海苔です」とはっきり言いました。
N氏が満足げに、
「やっぱり布海苔だよ」
「布海苔じゃないもん」
私はがんばりました。おじさんの明言など関係なしに。
それから店を出てもなお、
「布海苔じゃない」
「布海苔だ」
と無意味な口合戦で遊ぶことにより、重く沈んだ気分を紛らわそうとしました。
でも、親が待っている家に帰るには、つらすぎました。
N氏は、私の最悪の誕生日をもう少しましなものにしようと思ったのか、「面白い店を見つけたんだ。飲みに行く?」と誘ってくれました。
私は行くことにしました。
N氏曰く「面白い店」は繁華街にあり、明るい店内は若者たちで賑わっていました。
店員に案内されて、私たちはフロア中央のテーブルに向かい合って座り、手あたりしだいに酒と料理を注文しました。
「ほら、電車の座席を使ってるんだよ。あっち、見てみなよ」
と、N氏が私の後ろを目線で示しました。
振り向いてみると、窓際はボックス席が横一列に並んでいて、その対面式のシートは、ほんとうに列車内を再現したかのようでした。
私はN氏に向き直ると、今度はその角度から店内を観察しました。壁に飾ってあるポップなアートポスターには非常に関心を持ちました。特に、右壁の大きな絵画は個性的で、まじまじと細部に至るまで眺めたおしました。
そして、やっと気づいたのですが、その絵の上壁には四角に切り取られた空間が数カ所あり、ほかの客が談笑をしていました。その場所──ちょうど一組の客が入れるくらいの穴の中までは、いったいどこからどうやって行くのかと、私は首をかしげたものです。
うん、面白いといえば面白い。
そのうち運ばれてきた料理を食べていたら、N氏が、最近親しくなったという友人の話を私に聞かせました。
そして彼は、
「Iくん(その友人)に電話して、ここに呼んでいい?」
と言い出したのです。
私は動揺しました。自慢にもならないですが、私は大人になってからも人見知りが直っていないのです。
けれど、よくよく考えてみれば、労働局にセクハラの相談に行くという重苦しい任務を彼は遂行してくれたわけだから、せめて今くらいは楽しんでもらわなくては。
そうこうして、彼の友人であるI氏の来店が決まりました。
N氏から仕入れたI氏に関する予備知識は、年は私たちと同じくらい、結婚していて、現在はかたぎ。……ちょっと不安。だけど、私は人見知りするくせに先入観や偏見を持たないほうだし、N氏の話では「いい人」ということだったから、私は一期一会を大切にすることにしました。




