ブログに訪問するためのルートがいくつかあることを、皆さんはご存知でしょうか。
ブログランキングからだったり、ほかのブログのリンク集からだったりします。
そして、目当ての情報を探すために「検索」する人は多いと思います。
私のブログでは、その「検索ワード」を知ることができます。アクセス解析を利用してますので。
たとえば、「セクハラ」「二次被害」「痴漢冤罪」「裁判」「被害にあったら」などなどたくさんあります。
私はそれらの言葉から、訪問者はどんな情報を求めているのか――を読み取るのです。
なかでも私が気になったのが、「被害者が男性」「男性の被害者」などの検索ワードでした。
なぜそのような言葉で私のブログが検索されたかと申しますと、当ブログの「セクハラとは」で、ほんの数行だけ男性被害者について記述したからです。
ですが、それ以外に男性被害者に関する記事はありません。
もっと書ければいいのですけれど、現在の私は男性被害者についての知識に乏しいです。
私は、このブログにたどり着いた男性たちに申し訳ないと思いました。
そこで、紹介できるサイトがないものかと探しました。
結果、残念ながら見つけることができませんでした。
そのような状況の中、私にメールをくださった方がいました。
当サイトと相互リンクしていただいている「ジェンダーについて思うこと」の管理人様からでした。
男性被害者のHPがありますよ、と親切に教えてくださったのです。
私はさっそくそのサイトを訪問しました。
「If He Is Raped」は、当事者による個人サイトです。
性的被害の男性サバイバー(男性の性被害者)と、その家族・パートナー・友人のためのサイトです。
被害でお悩みの男性はもちろん、それ以外の方も閲覧なさってはいかがでしょうか。(※相談機関ではありませんのでご注意ください)
ここで私は弁解しなければなりません。
私の記述の中には、男と女を分類するような表現がございます。
それは私の受けた被害内容が性差別的だったことと、当時の私の想いをそのまま書いているためです。
ですが、男性にも被害者はいます。だから、男社会がどうとか、男だったらよかったとか、そういう表現の成否はわかりかねます。
男性でも女性でも被害者は被害者。傷つく気持ちは同じです。
差別や人権侵害をなくすためには、男女が対立するのではなく、互いに理解し認め合うことが必要なのではないのかと、今の私は思っています。
男か、女か――ではなく、まずはひとつの人格として。
ブログランキングからだったり、ほかのブログのリンク集からだったりします。
そして、目当ての情報を探すために「検索」する人は多いと思います。
私のブログでは、その「検索ワード」を知ることができます。アクセス解析を利用してますので。
たとえば、「セクハラ」「二次被害」「痴漢冤罪」「裁判」「被害にあったら」などなどたくさんあります。
私はそれらの言葉から、訪問者はどんな情報を求めているのか――を読み取るのです。
なかでも私が気になったのが、「被害者が男性」「男性の被害者」などの検索ワードでした。
なぜそのような言葉で私のブログが検索されたかと申しますと、当ブログの「セクハラとは」で、ほんの数行だけ男性被害者について記述したからです。
ですが、それ以外に男性被害者に関する記事はありません。
もっと書ければいいのですけれど、現在の私は男性被害者についての知識に乏しいです。
私は、このブログにたどり着いた男性たちに申し訳ないと思いました。
そこで、紹介できるサイトがないものかと探しました。
結果、残念ながら見つけることができませんでした。
そのような状況の中、私にメールをくださった方がいました。
当サイトと相互リンクしていただいている「ジェンダーについて思うこと」の管理人様からでした。
男性被害者のHPがありますよ、と親切に教えてくださったのです。
私はさっそくそのサイトを訪問しました。
「If He Is Raped」は、当事者による個人サイトです。
性的被害の男性サバイバー(男性の性被害者)と、その家族・パートナー・友人のためのサイトです。
被害でお悩みの男性はもちろん、それ以外の方も閲覧なさってはいかがでしょうか。(※相談機関ではありませんのでご注意ください)
ここで私は弁解しなければなりません。
私の記述の中には、男と女を分類するような表現がございます。
それは私の受けた被害内容が性差別的だったことと、当時の私の想いをそのまま書いているためです。
ですが、男性にも被害者はいます。だから、男社会がどうとか、男だったらよかったとか、そういう表現の成否はわかりかねます。
男性でも女性でも被害者は被害者。傷つく気持ちは同じです。
差別や人権侵害をなくすためには、男女が対立するのではなく、互いに理解し認め合うことが必要なのではないのかと、今の私は思っています。
男か、女か――ではなく、まずはひとつの人格として。




