会議の翌日は土曜日で、私の当番でしたが出勤することができませんでした。
また、事務所には誰もいないので、「休みます」と連絡することができませんでした。
月曜日の朝。私は、N氏に電話をしました。会議のいきさつと、精神的にかなりきつい状態であることを告白しました。
彼には私の代理として、会社に休むことを伝えてもらいました。
その日の夕方、母がコードレスフォンを持って私の部屋にやってきました。
「○○工業とかいう会社から」
私は電話をかわりました。支店長からでした。
「なんなの、あの人──Nっていったっけ? 部外者が出てくるなんてさ。いや俺はね、会うんだったらそれでもいいよ。ただし、会社の人間じゃないから、俺は感情的になるね。遠慮しないでとことんやるよ」
支店長はヒステリックに、こう息巻いたのです。
腹が立ったのは私のほうでした。N氏は部外者ではありません。私の無二の親友でした。その彼に対してなんという無礼。この挑発をN氏が知ったら、悪いがW、辛酸を舐めるのはおまえのほうだ。
私が言うのもおかしいけれど、N氏は支店長には負けません。N氏は口げんかも、ほんとうのけんかも、知恵と勇気が伴っているものだから並はずれて強かったのです。彼は、この持て余し者のたぬきおやじとだって対等に渡りあえるし、その鼻っ柱をへし折ることも見事にやってのけるでしょう。
「支店長、負けますよ」
と、私は言わずにいられませんでした。
支店長は思わずというふうに、
「ああっ!?」
と威嚇してきました。さすがの彼も頭に血がのぼり、言葉が見つからなかったらしいのです。
くやしいことに私はN氏ではないので、
「いえ、なんでもありません」
と、しらばっくれるしかありませんでした。
支店長はそれ以上の追求はしませんでした。とことんやると言ったのは、支店長は弱者に強く、強者に弱いものだから、男であるN氏の出現にたじろぎ、虚勢を張っただけなのですよ。そんなはったり、通用しないのに。
とはいうものの、私はN氏に迷惑をかけたくないから彼をたてにするつもりは毛頭なかったし、これ以上彼に対しての無礼があったら私も正気を失うだろうし、そうなると支店長との訣別が必至となるので、この話は打ち切ることにしました。
「支店長、約束してくれたじゃないですか。次長を支店に来させないって」
「それは約束したよ」
支店長の口調が弱くなりました。
「嘘をついたんですか!?」
私は、心の叫びをそのまま口に出しました。
「いや、そうじゃないよ、そうじゃないんだ」
「だったら、どうして何もしてくれなかったんですか。支店長ならどうとでもできたはずじゃないですか!」
私は怒りを抑えきれませんでした。
少しして支店長は、力の抜けた声で言いました。
「ああ……俺だ……俺が悪いんだあ……」
私は、かまわずに続けました。
「次長を支店に来させないのが無理だったとしても、たとえば、私を休ませるとか、早退させるとか、そうしてもよかったんじゃないですか!?」
支店長は質問には答えずに、また、
「ああ……やっぱり俺だあ……俺が悪いんだ」
と、がっくりしたように言いました。
私は、支店長の反応に腹立ちが修まりませんでした。私の質問に答えようとせず、「俺が悪いんだあ」とお茶を濁されては、たまったものではありません。
私は詰責しました。
「どうして私を会議に出席させたんですか!?」
彼は質問には答えずに、
「俺、約束しますから。もう、T山を支店に来させないし、電話もかけさせないから」
私は少し考えてから訊きました。
「信じていいんですか」
「信じてください」
支店長が、懇願するように言いました。
私は信じることをためらいました。
私は、たった一度でも裏切った人間に対して、その信頼を回復することができません。人を裏切るような愚者は、どこまでも裏切ることができ、一度ではなしに必ず繰り返すと考えるからです。
しかし、このときの状況では、支店長を信じないということは、すなわち辞職を意味していたので、信じるしかなかったのです。
私は静かに言いました。
「もう一度だけ、信じてみます」
「もう一度だけ、信じてください!」
支店長はまるで演説するような口調でした。
「わかりました。もう一度だけ、信じてみます」
と、私はあえて「もう一度だけ」をはずさずに言いました。再び信頼を裏切ったら、そのあとはない――という意味をこめて。
もしもこのとき、支店長が引き止めなかったら、そして私が辞職を決めていたら、私の人生は違っていたと思います。
ここで終わりにしていたら、私の傷はまだ手の施しようがあったのですから。
また、事務所には誰もいないので、「休みます」と連絡することができませんでした。
月曜日の朝。私は、N氏に電話をしました。会議のいきさつと、精神的にかなりきつい状態であることを告白しました。
彼には私の代理として、会社に休むことを伝えてもらいました。
その日の夕方、母がコードレスフォンを持って私の部屋にやってきました。
「○○工業とかいう会社から」
私は電話をかわりました。支店長からでした。
「なんなの、あの人──Nっていったっけ? 部外者が出てくるなんてさ。いや俺はね、会うんだったらそれでもいいよ。ただし、会社の人間じゃないから、俺は感情的になるね。遠慮しないでとことんやるよ」
支店長はヒステリックに、こう息巻いたのです。
腹が立ったのは私のほうでした。N氏は部外者ではありません。私の無二の親友でした。その彼に対してなんという無礼。この挑発をN氏が知ったら、悪いがW、辛酸を舐めるのはおまえのほうだ。
私が言うのもおかしいけれど、N氏は支店長には負けません。N氏は口げんかも、ほんとうのけんかも、知恵と勇気が伴っているものだから並はずれて強かったのです。彼は、この持て余し者のたぬきおやじとだって対等に渡りあえるし、その鼻っ柱をへし折ることも見事にやってのけるでしょう。
「支店長、負けますよ」
と、私は言わずにいられませんでした。
支店長は思わずというふうに、
「ああっ!?」
と威嚇してきました。さすがの彼も頭に血がのぼり、言葉が見つからなかったらしいのです。
くやしいことに私はN氏ではないので、
「いえ、なんでもありません」
と、しらばっくれるしかありませんでした。
支店長はそれ以上の追求はしませんでした。とことんやると言ったのは、支店長は弱者に強く、強者に弱いものだから、男であるN氏の出現にたじろぎ、虚勢を張っただけなのですよ。そんなはったり、通用しないのに。
とはいうものの、私はN氏に迷惑をかけたくないから彼をたてにするつもりは毛頭なかったし、これ以上彼に対しての無礼があったら私も正気を失うだろうし、そうなると支店長との訣別が必至となるので、この話は打ち切ることにしました。
「支店長、約束してくれたじゃないですか。次長を支店に来させないって」
「それは約束したよ」
支店長の口調が弱くなりました。
「嘘をついたんですか!?」
私は、心の叫びをそのまま口に出しました。
「いや、そうじゃないよ、そうじゃないんだ」
「だったら、どうして何もしてくれなかったんですか。支店長ならどうとでもできたはずじゃないですか!」
私は怒りを抑えきれませんでした。
少しして支店長は、力の抜けた声で言いました。
「ああ……俺だ……俺が悪いんだあ……」
私は、かまわずに続けました。
「次長を支店に来させないのが無理だったとしても、たとえば、私を休ませるとか、早退させるとか、そうしてもよかったんじゃないですか!?」
支店長は質問には答えずに、また、
「ああ……やっぱり俺だあ……俺が悪いんだ」
と、がっくりしたように言いました。
私は、支店長の反応に腹立ちが修まりませんでした。私の質問に答えようとせず、「俺が悪いんだあ」とお茶を濁されては、たまったものではありません。
私は詰責しました。
「どうして私を会議に出席させたんですか!?」
彼は質問には答えずに、
「俺、約束しますから。もう、T山を支店に来させないし、電話もかけさせないから」
私は少し考えてから訊きました。
「信じていいんですか」
「信じてください」
支店長が、懇願するように言いました。
私は信じることをためらいました。
私は、たった一度でも裏切った人間に対して、その信頼を回復することができません。人を裏切るような愚者は、どこまでも裏切ることができ、一度ではなしに必ず繰り返すと考えるからです。
しかし、このときの状況では、支店長を信じないということは、すなわち辞職を意味していたので、信じるしかなかったのです。
私は静かに言いました。
「もう一度だけ、信じてみます」
「もう一度だけ、信じてください!」
支店長はまるで演説するような口調でした。
「わかりました。もう一度だけ、信じてみます」
と、私はあえて「もう一度だけ」をはずさずに言いました。再び信頼を裏切ったら、そのあとはない――という意味をこめて。
もしもこのとき、支店長が引き止めなかったら、そして私が辞職を決めていたら、私の人生は違っていたと思います。
ここで終わりにしていたら、私の傷はまだ手の施しようがあったのですから。




