八月の第二土曜日。次長を無視し続けること1カ月を過ぎていました。この日は私の出勤日でした。
営業は外出していていましたし、真奈美は休日だったので、事務所には私ひとりきりでした。
午後三時をまわり、突然電話が鳴り響きました。平日から比べると、土曜日は電話が少なかったです。かかってくるのは、たいてい会社の人間からでした。この日はお盆前ということもあって、全然かかってきていませんでした。
私は受話器をあげ、いつものセリフを言いました。
「ありがとうございます。○○工業でございます」
電話の相手は、私が最も耳にしたくない声で名乗りました。
「T山ですけど」
ぼそぼそと聞き取りづらいひびわれた声でした。
私は電話を切ってしまいたい衝動を抑え、次長が用件を言うのを待ちました。
「ファックスしてほしい書類があるんだけど」と次長。
私は早く電話を切りたくて、すぐさまファイルから書類を見つけ出すと、「すぐに送ります」と言って、電話を切りました。
次長からの頼み事などさっさと済ませてしまいたい――私は急いで宛名と枚数を記入し、コピー機に駆け寄ると、次長がいる本社へファックスを流しました。
無事ファックスが流れ終わり、やれやれと思っていると、また電話が鳴り出しました。
嫌な予感にとらわれました。また次長からかもしれない……。
書類のことでまだ何かあるのかと思いながら受話器をそっとあげました。
案の定、次長からでした。
私は「ファックス届きましたか」と問いました。
次長は「ああ、うん」とだけ言って、口ごもっていました。
先ほどと違ってなんとなく様子がおかしいのです。
書類の件でなければ、こちらには話すことなど何もないので、次長が何を言い出すのか、私はこわくなってきました。
次長が訊きました。
「前に三人で飲みに行ったときのこと覚えてる?」
「え?」
「支店長も一緒に飲みに行ったときのことだけど……」
先月の第一土曜日に、『スナックB』に行ったときのことを言っているみたいでした。次長が私の背中をなでまわし抱きついてきた、あの日のことです。
次長は、私にずっと無視されて、やっと自分のしたことに気がつき、謝ろうとしているに違いない!――私はセクハラから完全に解放されると思うと嬉しくなって、声をはずませました。
「はい。覚えています」
「あの日、『スナックB』を出たあとなんだけど……」
私は戸惑いました。謝るのであれば、当然、『スナックB』での話をすべきでしょう。店を出たあとの話はどうでもいいのです。
もしかしたら、次長が話そうとしていることは、まったく見当違いのことではないだろうかと、私の目の前が暗くなりました。
「あのあと……前に『スナックA』にいた娘と会ったんよ」
次長の言いたいことが、私にはまったくわかりませんでした。
「はあっ?」
「あの、その娘、S(女性の名前)っていうんだけど、あのあと一緒に食事したんよ」
セクハラについて謝るどころか、わけのわからないことを一方的に話している次長に、私はいら立ち、声を張りあげました。
「そんなこと、私に言われても!」
しかし次長は、強引に話を続けました。
「その娘と会うって言ったら、支店長が変に気をつかって帰っちゃったし──」
私は話を遮り、「そんなの知りませんよ」と軽蔑を込めた低い声で言いました。
それでも次長は必死に話を続けました。
「いや、支店長が変に気をつかうんよ。みんなも、その娘とつき合ってるんじゃないかって噂しているみたいで……」
いったい何を言いたいのか読めず、私は泣きたくなりました。
次長はこの話をやめる気はないらしく、私の神経を逆なでするように続けました。
「いや、違うんよ。つき合ってないんよ。みんな、なんで噂するんやろな?」
なぜ私に訊く!?
私は怒声をあげました。
「そんなこと、私に訊かれても!!」
私のただならぬ様子に、次長もこの話をするのは諦めたようでしたが、なぜか電話は切ろうとしないのです。そっちの天気はどうだとか話しかけてきたけれど、私は答えませんでした。
それでもしつこく次長は電話を切ろうとせず、勝手に工事部の課長代理と電話をかわりました。そうすれば私の機嫌がなおるだろうという魂胆がみえみえで、私は余計に腹が立ちました。
課長代理がすぐに電話口に出ました。今までの話を次長の隣でずっと聞いていたのではないでしょうか。私の怒りはおさまらなかったものの、それを課長代理に悟られないよう感情を殺して、努めて愛想よく話をしました。
私はこのまま電話を切りたかったけれど、課長代理がまた次長にかわると言ったので、嫌とは言えませんでした。
次長は、再び電話をかわっても私の態度が依然変わらぬままなので、困惑している様子でした。
私に散々失礼なことをしておいて、なぜ次長が困惑するのかと思うと、腹が立って仕方がありませんでした。
私は「お疲れ様です」と言い、問答無用に電話を切りました。
営業は外出していていましたし、真奈美は休日だったので、事務所には私ひとりきりでした。
午後三時をまわり、突然電話が鳴り響きました。平日から比べると、土曜日は電話が少なかったです。かかってくるのは、たいてい会社の人間からでした。この日はお盆前ということもあって、全然かかってきていませんでした。
私は受話器をあげ、いつものセリフを言いました。
「ありがとうございます。○○工業でございます」
電話の相手は、私が最も耳にしたくない声で名乗りました。
「T山ですけど」
ぼそぼそと聞き取りづらいひびわれた声でした。
私は電話を切ってしまいたい衝動を抑え、次長が用件を言うのを待ちました。
「ファックスしてほしい書類があるんだけど」と次長。
私は早く電話を切りたくて、すぐさまファイルから書類を見つけ出すと、「すぐに送ります」と言って、電話を切りました。
次長からの頼み事などさっさと済ませてしまいたい――私は急いで宛名と枚数を記入し、コピー機に駆け寄ると、次長がいる本社へファックスを流しました。
無事ファックスが流れ終わり、やれやれと思っていると、また電話が鳴り出しました。
嫌な予感にとらわれました。また次長からかもしれない……。
書類のことでまだ何かあるのかと思いながら受話器をそっとあげました。
案の定、次長からでした。
私は「ファックス届きましたか」と問いました。
次長は「ああ、うん」とだけ言って、口ごもっていました。
先ほどと違ってなんとなく様子がおかしいのです。
書類の件でなければ、こちらには話すことなど何もないので、次長が何を言い出すのか、私はこわくなってきました。
次長が訊きました。
「前に三人で飲みに行ったときのこと覚えてる?」
「え?」
「支店長も一緒に飲みに行ったときのことだけど……」
先月の第一土曜日に、『スナックB』に行ったときのことを言っているみたいでした。次長が私の背中をなでまわし抱きついてきた、あの日のことです。
次長は、私にずっと無視されて、やっと自分のしたことに気がつき、謝ろうとしているに違いない!――私はセクハラから完全に解放されると思うと嬉しくなって、声をはずませました。
「はい。覚えています」
「あの日、『スナックB』を出たあとなんだけど……」
私は戸惑いました。謝るのであれば、当然、『スナックB』での話をすべきでしょう。店を出たあとの話はどうでもいいのです。
もしかしたら、次長が話そうとしていることは、まったく見当違いのことではないだろうかと、私の目の前が暗くなりました。
「あのあと……前に『スナックA』にいた娘と会ったんよ」
次長の言いたいことが、私にはまったくわかりませんでした。
「はあっ?」
「あの、その娘、S(女性の名前)っていうんだけど、あのあと一緒に食事したんよ」
セクハラについて謝るどころか、わけのわからないことを一方的に話している次長に、私はいら立ち、声を張りあげました。
「そんなこと、私に言われても!」
しかし次長は、強引に話を続けました。
「その娘と会うって言ったら、支店長が変に気をつかって帰っちゃったし──」
私は話を遮り、「そんなの知りませんよ」と軽蔑を込めた低い声で言いました。
それでも次長は必死に話を続けました。
「いや、支店長が変に気をつかうんよ。みんなも、その娘とつき合ってるんじゃないかって噂しているみたいで……」
いったい何を言いたいのか読めず、私は泣きたくなりました。
次長はこの話をやめる気はないらしく、私の神経を逆なでするように続けました。
「いや、違うんよ。つき合ってないんよ。みんな、なんで噂するんやろな?」
なぜ私に訊く!?
私は怒声をあげました。
「そんなこと、私に訊かれても!!」
私のただならぬ様子に、次長もこの話をするのは諦めたようでしたが、なぜか電話は切ろうとしないのです。そっちの天気はどうだとか話しかけてきたけれど、私は答えませんでした。
それでもしつこく次長は電話を切ろうとせず、勝手に工事部の課長代理と電話をかわりました。そうすれば私の機嫌がなおるだろうという魂胆がみえみえで、私は余計に腹が立ちました。
課長代理がすぐに電話口に出ました。今までの話を次長の隣でずっと聞いていたのではないでしょうか。私の怒りはおさまらなかったものの、それを課長代理に悟られないよう感情を殺して、努めて愛想よく話をしました。
私はこのまま電話を切りたかったけれど、課長代理がまた次長にかわると言ったので、嫌とは言えませんでした。
次長は、再び電話をかわっても私の態度が依然変わらぬままなので、困惑している様子でした。
私に散々失礼なことをしておいて、なぜ次長が困惑するのかと思うと、腹が立って仕方がありませんでした。
私は「お疲れ様です」と言い、問答無用に電話を切りました。




