歯の話のあと、次長は少しのあいだ何か考えているようでした。
そして気を取りなおしたように、またこちらに体を向けて言いました。
「ちょっと、指輪見せてよ」
「え」嘘でしょ?
「それ、前にしてた指輪やろ? 見せて」
そう言って次長は、私の左手を取ろうとしました。
私はその手をさっとかわしました。「嫌ですよ」
「いいやろ、見せてよ」
しつこい次長は、私の手をつかまえようしました。
私は、右手で指輪を覆うと、その両手を自分の胸元に引き寄せました。そして、ようやく考えついた理屈を口にしました。
「あの、人にもらった物なので。自分で買った物ならかまいませんけど、人からの贈り物なので、ちょっと……」
苦しい言い訳でした。
が、次長は納得したらしく、やっと諦めました。
次に私は、その難を逃れた左手を、椅子の座面と自分の太ももの下とのあいだにはさんで隠しました。
手を握られるのは耐えられないことだったので、先手を打って防御しようと思ったからです。それが裏目に出るとは考え及びもしませんでした。
私の手は、次長に握られることはありませんでした。
そのかわり、次長は、いきなり私の背中をなで始めました。
次長の手は、私の背中を上から下まで大きく何往復もしました。
こすれるほどの強い力でした。
私は何か言おうとしても、言葉が出てきませんでした。これまで「やめてください」と言っても通用しなかったし、それ以外にどうすればいいのか何も思いつかなかったのです。
次長は、前を向いてもこちらを向いても、私の背中をなで続けました。
次長の手の感触が、私の背中から否応なしに伝わってきました。
やがて次長の手は、私の背中で大きな円を描き始めました。
その力はもっと強くなっていき、摩擦で背中が熱くなりました。
私のブラジャーの感触も、次長の手に伝わっているだろう――そんなことが思い浮かびました。
気がついてみると、私の体は、誰もいない右側に不自然に傾いていました。自分の顔が苦痛に歪んでいるのがわかりました。その姿勢のまま、水割りの入ったグラスを見つめていました。
私は、抵抗する気力を完全に失っていたのです。心身が機能しなくなりました。頭がぼうっとして、視点が定まらず、次長のなすがままでした。
あとから思えば、いくらでも逃げ道はありました。私は幾度も臍を噛んだものです。
次長を突き飛ばしてやればよかった。
誰かに助けを求めることだってできた。
いいえ、せめて椅子から立ちあがり、店から出て行けばよかったのです。
けれど、あのときの私の思考は、たったそれさえも教えてくれませんでした。
そんな状態に陥ったのは初めてのことでした。
そして気を取りなおしたように、またこちらに体を向けて言いました。
「ちょっと、指輪見せてよ」
「え」嘘でしょ?
「それ、前にしてた指輪やろ? 見せて」
そう言って次長は、私の左手を取ろうとしました。
私はその手をさっとかわしました。「嫌ですよ」
「いいやろ、見せてよ」
しつこい次長は、私の手をつかまえようしました。
私は、右手で指輪を覆うと、その両手を自分の胸元に引き寄せました。そして、ようやく考えついた理屈を口にしました。
「あの、人にもらった物なので。自分で買った物ならかまいませんけど、人からの贈り物なので、ちょっと……」
苦しい言い訳でした。
が、次長は納得したらしく、やっと諦めました。
次に私は、その難を逃れた左手を、椅子の座面と自分の太ももの下とのあいだにはさんで隠しました。
手を握られるのは耐えられないことだったので、先手を打って防御しようと思ったからです。それが裏目に出るとは考え及びもしませんでした。
私の手は、次長に握られることはありませんでした。
そのかわり、次長は、いきなり私の背中をなで始めました。
次長の手は、私の背中を上から下まで大きく何往復もしました。
こすれるほどの強い力でした。
私は何か言おうとしても、言葉が出てきませんでした。これまで「やめてください」と言っても通用しなかったし、それ以外にどうすればいいのか何も思いつかなかったのです。
次長は、前を向いてもこちらを向いても、私の背中をなで続けました。
次長の手の感触が、私の背中から否応なしに伝わってきました。
やがて次長の手は、私の背中で大きな円を描き始めました。
その力はもっと強くなっていき、摩擦で背中が熱くなりました。
私のブラジャーの感触も、次長の手に伝わっているだろう――そんなことが思い浮かびました。
気がついてみると、私の体は、誰もいない右側に不自然に傾いていました。自分の顔が苦痛に歪んでいるのがわかりました。その姿勢のまま、水割りの入ったグラスを見つめていました。
私は、抵抗する気力を完全に失っていたのです。心身が機能しなくなりました。頭がぼうっとして、視点が定まらず、次長のなすがままでした。
あとから思えば、いくらでも逃げ道はありました。私は幾度も臍を噛んだものです。
次長を突き飛ばしてやればよかった。
誰かに助けを求めることだってできた。
いいえ、せめて椅子から立ちあがり、店から出て行けばよかったのです。
けれど、あのときの私の思考は、たったそれさえも教えてくれませんでした。
そんな状態に陥ったのは初めてのことでした。




